なんかたまに「こいつら哲学から何年遅れてるんだ...」みたいなワードが流行ったりしますよね.
します「よね」て言っても, そういった実感を持っていらっしゃる方は相当少ないと思いますけれども.
で, ちょうどいま, また, 何度目かのその感じがあるところです. 哲学から何年遅れているんだ, ていう.
具体的にこの言葉がそれだ, というのはここでは書きません. すごく詳しくその言葉が言い表したい事態というのを把握しているわけではないので.
あと, そのワードが, ほとんど字面上では似てはいるけれども, 指し示す内容がぜんぜん違ったりしますからね.
でもまあ, 哲学が何十年も前に, 場合によっては何百年も前に打ち出した考え方, というのが, いまさらすごくホットに, イマっぽくインターネットなんかで話題になってたりすると,「いまなんでその言葉!?」「いまなんでその話題!?!??」てなってしまいます。
いやそれこの本で問題になってなかった? みたいな.
自分はここ 2, 3 年で自分を取り巻く環境ががらりと変わってしまったので, ゆっくりじっくり真剣に哲学書に向き合う, ていう機会がなかなかとれないんですけれども (自分が完全に悪いんですが.).
いちばん最近読んだ, 読んだといってもぱーっとですが, 読んだのが, 中山元訳の『存在と時間』の第 2 分冊で, いままでの訳とどう違うか, みたいなのを確認した程度です.
哲学書を読む目的としては, その文献自体が, 個人的にすごく面白い, とか.あるいは, ある哲学者の考え方で未解決な問題があって, その問題を追究したい, とか. 学問全体の問題を考えた場合, どうしても哲学は外してはいけない, とか. いろいろあると思います.
で, 読むのは古典なんですよね. 何十年, 何百年も前に書かれている本を読む.
人によってはこのことを, 何十年, 何百年も前に書かれている本を読むことを, 訝しがるかもしれません. 個人的に読んでいて面白い, というなら別にして (ていうか哲学書を面白いと思う人に対しては十分, 訝しがってもらっていいと思うんですが (笑)), 個人的な問題を超えてたところの問題について, そんな昔の本を読んで何になるの. みたいな.
でも, 何十年も何百年も前の本を読んでなんになるの, と思われるかもしれませんが, 世間が何十年も何百年も前の考え方に追いついてないんですよね.
ざっくりでも哲学史を一通り学んだことがある人なら, そう感じることがけっこうあると思います.
別に哲学が最強の学問だとは思いません. ちょっと雑じゃないですかね? ていう議論もあります. 大昔のエラい哲学者が書いた本のなかで, あまり読まれなくなった本もあります.
また, いままでの哲学的な考え方では対処できなかった問題が現実では起こりえます.
そういうのを差し引いても,「いまさらそれ?」ていうか「いまその問題に気づいたの!?」て思ってしまうことが, けっこうたまにあるっていう.
そういう話.